「私はあの件ではほんの少しだけ手助けをしただけです。結局、ラクシュミー卿をお救いできませんでした」
「だが君の洞察がなければ、陛下のご威光に傷が付いていただろう。スチェパンの反乱が速やかに鎮圧されればこそ、他の地で芽生えつつあった不逞の気配はすぐに絶えたのだ」
 政治というものは、言葉を飾るのをやめれば、マフィア、それも阿片商人のようなものだ。徴税によって得られる平和を恒久的にすることは支配に他ならず、金を払わない従わないものたちに対して断固たる報復を行ない一罰百戒を成さなければ国家はナメられ、秩序は崩壊する。
 統一と平和を唱えることは易いが維持することは難しく、それを成し遂げているアーサーという偉大なる王の力を、ダ・ヴィンチは今さらのように実感していた。
「……不逞の気配が絶えたのならば、何故にこのような行軍を?」
「訓練だよ、ダ・ヴィンチ卿。君の開発してくれた新型《ファルコ》だけで戦争は出来ない。《イクサヨロイ》とともに戦い、ともに行軍する兵士を育てなければ平和は守れないということだ」
 違うな、とダ・ヴィンチは感じ取ったが、口にも表情にも出さなかった。あの若い兵士の疲労の度合いや口調から、それがどのような訓練かはわかった。過大にかけられたストレス、少ない水の補給、重い背嚢。すべては長距離行軍、それも敵地での侵攻作戦を想定したものだ。しかも近日中に。
(観察のためとは言え、彼には苦労をかけた。士官たちが事情を察して、しばしでも休息を与えてくれればいいが)
 そう、ウェルナーにダ・ヴィンチが話しかけたのは偶然ではない。彼が観察サンプルとして最も適していると判断したから、そうしたまでのことなのだ。
 だから口にしたのは別のことだった。
「良いワインですね。マレンゴですか?」
「ああ。あそこのワイナリーのひとつに懇意にしている家族があってね。最近代替わりしたが、よい葡萄を育てている。当節流行の化学肥料を使わないから量は取れないが、その分根が強いのだな。深みのある赤だろう?」
「ここ数年の龍脈の変化で、味が変わったはしないのですか。私の好みのワイナリーのいくつかは廃業したり、品種を変えてしまいましてね」
「ああ、私にも覚えがある。どこの領主たちも《杭》を使って環境を維持しようとしているが、龍脈の変化は時代の流れなのだな。なかなか、ワインの味を恒常的に保つこともできない」
 ルビー色をした高貴な液体を透かして、カエサルは微笑んで見せた。
「だが難しい……ワインの味が毎年同じでは、こうしてヴィンデージの封を切ってそのアロマを友と愛でる楽しみも失われてしまう。工房の芸術品がひとつひとつ同じではないように、自然の恵みもまた同じではない」