「それはわかっている。私が知りたいのは、あの旗はカエサル卿の軍旗ではないか、ということなのだ」
「カエサル……」
 確か、連隊の指揮を執っている中央のえらい将軍がそんな名前だったような気がした。
「確かに、そんなお偉い人が私たちの指揮を執っていたような気はいたします。閲兵式で一度だけ、遠くからお見かけしましたから」
「グラッチェ! ディ・モールト・グラッツェ、それはいい。では二等兵くん、早速だが卿に取り次いでくれたまえ」
「自分が、ですか!?」
 助けを求めるべく、ウェルナーは立ち去ろうとしている戦友たちと上官とを見たが、誰もが関わり合いになろうとしなかった。夕日の中に立つ男はまるで幻想の中から現われたような存在だった。誰も幻想と関わることで現実の自分を棒に振りたくはない。ウェルナーはたまたま不幸だったのだ。
「しかし、自分はただの兵士でありまして……」
「ノォ、ノォ。気にすることはない。私はレオナルド・ダ・ヴィンチだ。そう言えば、カエサル卿はわかってくれる。さあ」
 もはや目の前の男が幻想そのもの、あるいは神話なのは明白だった。幻想や神話に世俗の今を生きる人間の言葉が通じるはずはない。
 ウェルナーは最後の気力を振り絞って、彼をカエサル卿のところに案内するという不正規の任務に従事することにした。

 *

 山間に設営された豪奢な天幕の中で、カエサルは時ならぬ友人の来訪を出迎えた。
 寒風も土埃もここまでは届かない。近隣の農家から買い求めた鶏のトマト煮込みの芳香と、年代物のよく熟成された葡萄酒がダ・ヴィンチを待っていたものである。
「まったく、君はいつも私を驚かせてくれるな、ダ・ヴィンチ卿」
「それはこちらも同じです。まさかあなたがこのような辺境の地で行軍をしていようとは。地方反乱ですか?」
「まさか。アーサー王の威光はあまねく輝いている。スチェパン・ラージンで最後だろうよ」
「お人が悪い」
 ダ・ヴィンチは苦笑いし、鶏を口に運んだ。バターが多少効き過ぎの嫌いはあったが、カエサルのバター好きは有名だ。前線の軍人は脳に脂肪を回す必要があるということなのだろう。